一如と逆説と芸術

私はこれまで、他の多くのことと同様に、美術史家としての人生を背後に置き去りにしてまいりました。しかしながら、そういうことになりがちだとはいえ、昨年佛教の根本的概念だと理解してお話し申し上げたことの多くは、こころの中の哲学的もしくは宗教的な個室に孤立させておくべきでないと、そういう思いが最近になって出てきたのです。

「すべての有と無の一如」は、絵画や彫刻などの芸術作品と、驚くべき関連性があります。芸術作品は、人間精神の最も偉大な業績のひとつです。現実と非現実、自然と人工、描写と被写体に、明らかな形のある存在を与え、それらを一挙に結合し、三次元以上の次元を二次元に変えたり、具体的なものと抽象的なものを一つにしたりします。

芸術は、多くの場合、私たちの住んでいる世界とその世界の認識の中に、あまねく存在する「迷想」という要素に特別な意味を付与します。

実際に「空」というのは、それを初めて聞く人の心の平静を乱してしまうような概念です。そうしたことがたびたび起こりますが、それは人間の「迷想」が強いからです。「空」という真理は、人であれ物であれ、一切の存在には、永遠にして不変な単一の我といった個別の起源があるわけではなく、すべての存在は「縁起(すべてはお互いに依り合って起こってきているということ)」の過程で生じていると主張するのです。

しかしながら、「迷想」という言葉に言及することで、三次元の実在という「迷想」を二次元の面に創り出そうとする、実際には貫徹不可能なはずの精力的試みが、世界中の芸術の歴史の全体のうちには、非常に稀ながらあったということが、想い出されます。

西洋においては、しばしば、そのような試みは、キリスト教会やパラディオ様式の邸宅の壁などといった高いところに茶色や灰色の色調で描かれ、一見浅い浮き彫り(レリーフ)に見える「プティ(裸のキューピッド)」のような像のフリーズ(帯状装飾)というかたちをとっています。それは、三次元性の「迷想」が壊されるのを防ぐためです。

事実、遠近画法的空間をもつこの非常に驚くべき建築用描画のいくつかは、三次元を二次元に押し込めようとする行為に含まれている基本的な逆説を、そのまま反映しています

ピラネシの描いた十八世紀の「牢獄」という広大な空想的室内画には、行く先のない無数の階段があって、突き抜けることのできない白い石壁の表面へと登り、またそこから出てきているのです。それに対して、二十世紀のプリントであるM. C. ヱッシャーの類似作品では、絶対的実在と完全な非実在の逆説が、厳密に規定された正確さで、もう一歩先まで推し進められています。

左側 のヱッシャーの「別世界」においては、どの建設的構造が水平でどれが垂直であるか、何が下で何が上かがいえません。なぜなら、すべてが逆で、あべこべになっているからです。

次に、右側 のヱッシャーの「滝」は、見た目には簡単です。完全に三次元の、現実的に見える構造を示していますが、そのように見えるのは、次のようなことが理解できるまでのことです。つまり、水車を動かすために二階から落ちてきた水流は、それを保っている段差のある壁によって極めて明瞭に示されるように、着実に下方に流れています。そしてついには、逆説的に、もう一度落下するために再び頂上に達しているのです。

その上、そのジグザグ・コースを注意深く辿ったならば、建築に使われている一連の柱や円柱がすべて、それらが支えているように見える形態の真下にあるのではないとお解りになるでしょう。なぜなら、建物の低いところから真上にあるように見えているところへ行くためには、かならず直角の二辺に添って下っていかねばならないのですから。

ある特殊な景色や対象の完全に絵画的な「迷想」と、通常私たちが実在だと考えるものの間の矛盾にはまったく別な側面が見られます。それを示す気のきいた参考例をもうひとつお目にかけましょう。これは、シュール・レアリズムの作家、ルネ・マグリットの描いた、見た目は完全に写実的な二十世紀の作品ですCe n’est pas une Pipeと題されており、英訳では「これはパイプではない」と太字を使って強調しています。そのことの中に、二者間の矛盾の特別な側面が凝縮的に表現されています。

ここでのジョークは、逆説といってもいいのですが、それはパイプのように見えるけれども、実際にはパイプの絵に過ぎないということです。

「迷想」の概念から「無常」の概念に移行するとしましょう。この「無常」という概念は、遠い過去から掘り起こされた荒廃した遺品に対面してやっと理解されるということが多いのですが、美術や建築の作品においては、かなり異なったさまざまなレベルの変質や腐食というかたちで、「無常」はあらゆるところに表れています。「無常」ということは、あの果てしもない、終には敗北を喫するであろう、保管ないし保存への努力に、つねに現れているのです。

そして最後に、人生を生きるための三つの補則 (「無執着」「行為のための行為」「出会い」) に向かうことになります。人が何らかのかたちで所有し、その人生の一部ともしてきた芸術作品を、喪失したり贈与したりすることは、その人の「無執着」ぶりを試す非常によい機会となります。

過去五世紀ほどの間に西洋で創造された膨大な芸術作品は、それらがたびたび引き寄せてきた途方もない額の金銭やあるいは名誉欲といったものに、疑いようもなく動機づけられていました。少なくとも、部分的にはそうであったのです。しかし、こうした芸術作品のうち驚くほど多くのものは、有史以前の洞窟であろうと、中世の僧院や寺院であろうと、到達しがたい理想である「行為のための行為」に限りなく近づいた人々によって製作されたものでした。あるいは、宗教には関係ないところで「行為のために行為しながら」、無名であるということに満足していただけでなく、最もよいときにも貧しい生活に甘んじていた、あるいは悲惨な極貧の生活にさえも甘んじていた人々によって製作されていたのです。

佛教概念にはもう一つ、興味深いものがあります。それが、「出会い」です。真言宗の行者が佛像を観ずるときのように、芸術作品そのものに入りこみ、それと一体になるばかりでなく、そうすることを通して、作品を作った芸術家の心と密接に触れ合うのです。

主として禅宗に結びつけて考えられがちですが、実際には、無数に存在する佛教宗派のほとんどにおいて、佛教的実践の不可欠な要素である深い観想ないし瞑想は、芸術作品と本当に触れ合おうとする場合にも、きわめて重要です。しかし、こうした基本的事実は、私たちが美術館や彫刻公園をそぞろ歩きし、ほんの数秒間、たまには一、二分間眺めるだけで、次から次へと作品を見て回る場合には、しばしば忘れ去られています。

特に絵画ということになると、一般的には写実作品といってもいいのですが、四、五千年前の初期洞窟絵画から今日まで、さらには未来に向けて、立体的空間(三次元)と平面(二次元)の終わりなき戦いに起因する、不易な要素がもう一つあるのです。それは、立体的空間と平面を調和させようと試みたり、あるいは、空間と平面の対比を強めて三次元を二次元に押し込める逆説を際立たせたり、あるいは可動性の彫刻などの場合のように、あらゆる現在の瞬間に三次元から四次元を創りだす逆説を目立たせたりする努力です。

ここに見えているのは、壁に掛かっている絵画ではなく、床に立っている彫刻です。アレキサンダー・カルダーのこの作品のような動く彫刻においては、四次元、つまり時間の次元が、デザイン上で不可欠な部分になります。どんなわずかな動き、風のそよぎででも、配置や眼に見えるかたち、さまざまな色の関係が変わります。

北斎の浮世絵 のように、動かすことが不可能な場合でも、四次元はその内に含まれているのです。そこには、「大波」のかたまりに飛び込む瞬間の船が描かれており、その大波は遥か頭上で鈎爪状の泡沫に砕けていく――そんなところが捉えられています。

一六三五年の「アブラハムがイサクを犠牲に」のようなレンブラントの初期作品においては、動きを表現しようとする、もしくは動きをほのめかそうとするレンブラントの努力は、しばしば極端なところまでいっています。この絵で、天使が急降下してきてアブラハムの手首を捕まえたとき、彼の手から落ちたばかりのナイフは、地面に音を立てて落ちる直前であり、空中に浮いているのが見てとれます。しかし、レンブラントは、十九世紀の印象派ではありませんでした。ナイフとその鋭い刃の暈かしは、まったくありません。その結果は確かに、滑稽さと隣り合わせのように私には感じられます。

しかしながら、運動と時間経過の意味が極めて巧妙に表現されている、アムステルダムの織物業者組合の評議員会「シンディクス」のグループ肖像画を描いた一六六一年までに、レンブラントは、立体空間と平面の戦いに内在する根本的な逆説と「迷想」という要素のコントロールを、まったく新しい段階にまで推し進めていました。

この絵の中では、左から二番目の人物が何か言いながら会議場の床から突然立ち上がるところが描かれており、他方、右端の人物はまだテーブルの上に彼の手袋を置こうとしているところです。

三次元世界が侵入することで絵画の二次元面の構造を壊してはならないというレンブラントの決意は非常に固かったため、今晩ここにおられる皆さまの中にも、この絵がスクリーンに現れたときすぐに、ご覧になっている場面の現実的内容にお気づきになった方々がおられたのではないでしょうか。あるいは、今の段階でもいいですが、それを十分に記述できる方がおられるのではないかと思います。

非常に大まかな平面図 ですが、この図表が示すように、実際に描かれている人びとは、後退していく感じを与える左側の二人の人物と、右側のテーブルに座るもう二人、そして開かれた台帳の内容を右手で示している議長です。議長は一番奥の中央に座っており、そしてそのすぐ後ろ、われわれから見て右側には従者が立っています。黒い点は、非常に近接している観察者の位置と思われるところを示しています。

絵画に含まれる実際の立体空間をコントロールするために、六つの主要な要素が使われています。そしてそれらは、その空間を壊すことなく使われているのです。

それらの第一の要素は、部屋の奥の壁です。その壁は、絵画の平面に対して、正確ではないもののおおよそ平行になっており、明らかに三次元的構造になっています。

他方、テーブル左側に見られる極端な短縮画法によって、その可視的な奥行きが大きく制限されています。それはまた注意深く選択されたであろう低い視点の影響でもあります。この視点は、観察者が評議員の座っている台より低い位置にあることを証明すると同時に、後退していく感じを与えるテーブルの上面が完全に見れないようにもしています。

第六番目は、すべての中で最も重要な要素です。これは、テーブルについている人物の巧みな配置であり、彼らの顔は外見上絵画面とほぼ平行になっています。これはまた、主だった依頼人すべての肖像を同程度の明確さで描写するという目的と利点を兼ね備えています。

しかしながら、観察者に対してあからさまな三次元空間の「迷想」を提示してしまうことにまったく無頓着であったレンブラントは、そのころまでに知悉されていた遠近法的後退の法則に対しても、決してそのとりことはなっていませんでした。

一方では、「ルネッサンス期の人為的遠近法」には規則がありました。これは、二面が見えるのであれば、いかなる立方体でも、その前面は画面に平行に描かれ、もう一つの面は後退して遠方では消えゆく点になるように描かれねばならないというものです。また他方では、二重焦点方式の場合はかならず、二つの側面ともに後退していくように描かれ、そのいずれもが画面と平行になることはありませんでした。

しかしレンブラントは、しごくもっともな理由で、そうしたすべての規則を破ったのです。

テーブル手前の接線は、正確な遠近法的構成からすれば、平らな画面に平行にすべきであり、そうすれば、絵画全体の奥行の自然な短縮によって、この絵の場合もそうであるように、中央の少し左寄りから見て後退していく感じの要素を取り入れることになります。あるいは、端っこに何もない右側に向かって下方への傾斜をつけるようにするかということになります。しかし、テーブル手前の接線は、実際には少し上方へ傾斜するように描かれているのです。

視覚的観点からすれば、理由は至極簡単です。

この巧妙な規則違反の手法の故に、観る人の眼の動きは、何もない右側に向かってそれを越えて行くのではなく、左側への傾斜によって緩やかに制御され、右手の二人の評議員の流れに添いながら、テーブルの手前の角で明暗を画している照明の変化によってすでに際立っている中央の議長の方向に導かれるのです。

それによってまた、テーブルの二辺の上面の角度は減少してほとんど直線となり、それによってさらに空間と面の戦いを軽減するという効果が生まれるのです。

要するに、芸術作品に対面し、本当に出会いたいともし思うなら、ましてやそれを産み出した精神的過程に出会いたいと思うなら、観想が、静かな瞑想が、必要だということを、この偉大な絵画は力強く表現しているのです。

レンブラントとその作品についていえることは、いとも簡単に心を孤立した一室に閉じ込めてしまいがちな大多数の芸術家についてもいえます。

「すべての有の一如」を根源的レベルで、具体的に表現するすばらしい方法は、特にセザンヌの絵画の多くで明確に見て取れます。それは一見、二世紀前のレンブラントの絵画からは限りなく遠いようにも思えますが。

彼の好んだ主題の一つに、聖ヴィクトワール山があります。この山を描いた長い連作から、主要な実例の一つ をお見せしましょう。ここにおいては、深遠な三次元空間の描写を美しい彩りの平面の強調と調和させようとする、半ば直観的、半ば意識的とも思われる努力が、非常に明確にわかるのです。

三次元空間の現実的な感じを作り出そうと、過何世紀ものあいだ多大な努力が払われてきました。そこには、通例として、三次元性の「迷想」の邪魔をしないよう、どんなにわずかなものであっても、絵画の創作に必要だった実際の筆使いを可能な限り隠そうとする傾向がありました。

すべての筆跡が明瞭に見えるように残されるようになった現今では、製作過程の詳細はすべて、原則として見ることができます。

右側の下の方では、一連の対角線によって、平らな風景をほとんど空中から見ているような感覚が作り出されています。そしてそれは、高く見える前景から遠くの山の方まで、遥かに離れた遠景へと延びているのです。ただし、画面の右端の方だけは、現実的な筆使いがなされており、中間距離の景色において手前に傾斜している陸橋がほぼ水平な線でもあるため、ここは違った感じになっています。

左側では、前景の樹とそのすぐ右にある林と家の描写に、垂直線が使われています。これが、樹の左側の筆使いが非-空間的(二次元的)になっていることや、前景の枝の何やら不確かな筆使いに隠されて山の斜面が樹の両側で不連続になっていることなどと相俟って、絵画面全体の完結性を保持することに役立っているのです。

松の木の枝は、山の輪郭に沿って左右から山の上に曲がりこんでいます。この松の木の枝とともに、山そのものに関連して、明らかに大きな問題があることを、セザンヌは、最後の瞬間に突如として、理解しました。なぜなら、彼は、深い風景空間と絵画面の間の所期の関係を完全に混乱させてしまうという深刻な過ちを犯していたのです。

頂上のすぐ右上の枝はかつては、傾斜する山の輪郭線を横切って垂れ下がっていたもので、その切り取られた部分がまだ山腹に見えています。しかし、最も近い前景を最も遠い遠景に釘付けにしていたと一目で気づくには、鋭い観察眼がなければなりません。

セザンヌは、白とベージュの広い空色のストロークでただちに上塗りし、山に重なる枝の連続性を断ち切りました。その空色のストロークは右に下り続け、山の稜線の上を進みながら、わずかながらも稜線に切り込んでいます。なぜなら、それらのストロークが、絵画面の最後の最も上の層となっているからです。

「ジャ・ドゥ・ブフォンの高い木々」という画題の絵を見ていただきましょう。今度は、簡明に見える樹木の列の絵 です。この絵もコートールド・インスティチュート・ギャラリーに展示されているものですが、これもまた、製作過程の遅い段階で三次元性空間と実際の画面の関係において未解決の問題に直面したときセザンヌが見せた、躊躇することのない大胆な反応を同じように示しています。

この特別なケースで、セザンヌは、前景右手の樹の幹の三分の一くらいの高さにある分岐点に過剰な構造的堅固さを与えたことで、求めていた絵画的バランスを覆してしまっていたことが解ったのです。

それを理解した後で、セザンヌは、樹のその目障りなところを部分的に塗り替え、ごまかそうとは一切しませんでした。最後の瞬間に、大胆な空の白のストロークの一筆をその上に加えたのです。

これと同様に、左から二番目の樹が取り返しのつかないほど絵画面の空間の奥深くにまで入りこんでいると解ったとき、セザンヌは、その樹に曲線の形の拡張を加え、すぐ左にある前景の樹とまったく同じ幅と色彩を与えました。これによって、上方半ばにある群葉の深い穴を埋めたのです。そうすることで、どんな学者先生でも見てお解りのように、明るい群葉のカーテンの背後に隠れている、より細くより暗い幹との繋がりは、ほとんど完全に壊されることになりました。しかしその事実にも関わらず、そのような方法をとったのです。

こうした取り組み方は、まったく異なった分野である肖像画においても、根本的には変わりませんでした。

「パイプをくわえた男」という絵において、手段の節約と画面全体の完結性へ向けたセザンヌの関心が証明されています。絵の最も明るい部分はすべて、その背景ばかりでなく、前景のコートやチョッキにおいても、帽子の明るい部分においても、キャンヴァスの明るく薄い上塗りにまったく触れることなく、それが十分見えるように残され、作り上げられているのですから。

平面を維持しようとするセザンヌの関心は、チョッキの襟の右肩が異常なまでにぼやけている明るい筆使いによっても解ります。その筆使いによって、その部分の画面の固さは和らぎ、後退する雰囲気も減少するのです。

それよりもさらに際立つ典型的なものは、彩色が実質上完成した段階で、人物の他の部分に比べて帽子があまりにも三次元的で円柱型になっていると理解したときに、セザンヌが実行した方法です。これは、帽子が三次元空間へ後退する感じを減らし、彩色の全体的な均衡を取り戻すため、帽子左の外側の輪郭の上部に、厚い、親指の爪程度の大きさの連続的彩色を施すというものでした。非-構造的な、完全に平坦で、奥行きのない筆使いのみでそれを可能にしたのです。

セザンヌの絵画の筆使いから、名作のたくまぬ創作と見えがちなものに要した苦闘のあとが見て取れるように、そのような筆使いによってまた、絵の具の各層が塗られた実際の順序を追跡できます。

同じことは、無数に存在する二十世紀の作品にもいえることです。ジャクソン・ポロックの「青い棹」のような作品には、おそらく最も極端なかたちで見て取ることができます。「青い棹」では、絵の具のすべてのはねかしやべた塗りに原則として順番があり、各層にある特別な色彩は、床の上に置かれたキャンヴァス上に連続的なしぐさで描かれたものとして、その筆跡を辿ることができるのです。

例を一つ挙げましょう。下の右端に見える大きなやや明るめな黄色を辿っていくと、色も流動性も変わることなく、大きな二列をなして絵画を横切っていること、下の層の濃い黄色の絵の具の上にあることが解ります。

色彩もしくは顔料の濃度と配分をどう選択したかということ、その適用方法が次のものにどのように続いたかということ、そういう全製作過程は、もしそう望むなら、再現することも可能です。こうした再現によって、少なくともある程度は、芸術家の心に深く入り込む窓が開けられます。つまり、絵画の創造に要した身体的作業と技術の根底にある精神的過程の深みを覗き込む窓を開くことができるのです。

根源的な「すべての有と無の一如」は、レンブラントやセザンヌのような、うわべは非常に異なって見える画家たちに、極めて明瞭に存在する実体であると私には思われます。その「すべての有と無の一如」は、たとえば、ヘンリー・ムアやエドアルド・パオロッチのような、かなり現代的芸術家によって作られたいくつかの作品に観られるように、そのような個々の彫刻の創造過程と最後の形状のそれぞれに、非常に特別なかたちで具現されることもあり得るのです。

ローマのサンピエトロ大聖堂にある、一四九八年から一五〇〇年にかけて作られた、ミケランジェロ初期の「ピエタ」のような彫刻においては、完成作品の大理石は徹頭徹尾変形しています。そのため、それが切り出されたカッララ山やその石切り場との関係を明らかにすることは、特別な文献的証拠が残っていない限り、膨大な探索を必要とするでしょう。

人物像が出現しつつある荒削りな実際の石と、作品の創作に使われるさまざまな連続的鑿使いの跡が見れるのは、ミケランジェロのパトロンであった教皇ユリウス二世の墓石に予定されていた「奴隷」のような未完の作品 に限られます。

他方、そういうことを考えながら見る人にとっては、「すべての有の一如」は、1968年前後のヘンリー・ムアの「三点彫刻:椎骨」のブロンズの完成品ばかりでなく、そのさまざまな創作過程においても、具体的な類似例として現れます。その作品については、左側に小型の石膏模型というかひな型 をお見せしています。

右側の、ぶざまな、一見無関係にも見える、大雑把に釘付けされた異なった木片の連鎖 は、実際には、実物大のブロンズ像の仮枠というか、その下部構造の一部分を製作する過程の第一段階です。

しっくいで濡らし、ところどころはそれを塗りつけている、蜘蛛の巣のような粗い布地を使うという分業がそれに引き続き、次には色々な部分の実物大の石膏が出来てきます。その一つには彫刻家の二人の助手が働いているのが見られます。

その次に、ベルリンにある彼の鋳造工場で、作品全体の大規模な鋳込みがあります。そのそばに、左側がヘンリー・ムアですが、ムアがヘルマン・ノアクと共に立っているのが見受けられます。これに続き、研磨とラッカーがけを行いますが、これによって彫刻作品が最後に全体的な変容を起こし、ブロンズの金色の光沢が作り出されるのです。

同様に、一九六〇年の「二つの寄り合う姿 No.2」の創作にも、さまざまな過程が含まれていて、そこには「縁起」のはたらきがまだ非常に明瞭に見える形で残っています。

ほとんど樹の幹にも見える首や両肩、露骨に切られた腕などには、解剖学の影響が見受けられます。これは、海から隆起してくる漆黒の露出部に何千年にもわたって彫り出されてきた洞窟や自然なアーチの回想とも結びついています。

下肢の断崖のような形には、粘土の成形に典型的な、製作の前段階において、底辺から積み重ねたしっくいの塊まりの上塗りがあります。そこにはやがて乾いた石膏に施された無数の大胆な筋目の彫り込みが見られ、それは海から層を重ねて出現した水平な風化した岩石層を思い出させます。

完成作品はブロンズに鋳造されているものの、木材や粗い布地、まだ濡れているときのしっくいや、完全に乾いてからの彫刻といったものはすべて、創作の一部です。これらは、彫刻家の心に起こる縁起の結果を示すものであると同時に、一つの芸術作品内で特別に具現する実際的な「すべての有と無の一如」を作り出しています。

私はこれまで、築き上げたり削ぎ落としたりといった称賛すべき過程についてお話ししてきましたが、これらは、最終的な仕上げであるブロンズ鋳造の表面に一つひとつ詳細に見て取れるのです。

そのような作品を観るに際しては、彫刻そのものに立ち向かい、想像力を駆使しながら、自分自身の尺度と立ち位置を次々に変えてみたりするのです。聳えたつ岩壁の下に漂う漕ぎ舟にのる小さな人物になってみたり、緑の芝生の上に立って動き回りながら、女性のブロンズの彫刻を見下ろす通常の人間になってみたりとか。

そのような想像力の行使は、この特別なペリー・グリーンでの写真が取られたときのように地面が実際に浸水していたり、あるいはニューヨークの膨大な「寄り合う姿」の場合のように作品が水中に置かれているときには、遥かに容易になります。

ヘンリー・ムアからエドアルド・パオロッチのブロンズ「人物像」に眼を向ければおそらく、はるかに奇妙なかたちの内に、「縁起」と「すべての有と無の一如」の両方が見て取れます。それらの人物像の左は「ジェイソン(ジョシュア)」、右は「セヴァスチャン」という具合に、神話上の英雄やキリスト教の殉教者といった非常に刺激的な名前がつけられることが多いのですが。

驚くべきことに、これらは本当に、人間であり、かつ人間ではないのです。

壊れたぜんまいや歯車、ブリキ缶の蓋から始まり、捨て去られた機械の残滓に至るまで、人間の機械的産物の残骸から作られたこれらの作品は、自然界はありとあらゆるところにあり、田舎のどこかにあるだけのものではないと、私たちに思い出させてくれます。

特に、宇宙的情況から眺めれば、つまり、大気圏外の宇宙空間から見れば、この寺院そのもの、私たちが建設する街や都市、私たちが創造するありとあらゆる種のさまざまな加工品は、ちょうど蟻の巣のようなものであり、ただ単に自然な大自然の部分です。

不思議なことはありません! 釈迦牟尼佛は、私たちと違って、自然と人工、自己と非自己を区別しませんでした。

さてこの話の最後を、私はもう一度、詩で締めくくりたいと思います。極めて不適切なものかもしれませんが、こういう詩です。

思い出してください
私の言うことは
        
言ったことは
言えたことは

言葉
言葉以外の
何物でもありません

果てしない言葉

しかし絵画や
彫刻は

寂かな無言の
世界に住んでいます

そしてもし
私や
				
他の誰かが

言ったり
書いたりした何かが

禅ガーデンに
跪き
坐っているときに

あるいはこの時代や	
別な時代の
絵画や
彫刻を見ているときに
				
心に
たゆたうのであれば
                
あなたは決して

深い出会いを
しないだろうし

近付きさえも

しないでしょう

Talks at Shogyoji

by John White

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