禅と庭園の創造

弱腰でロンドン仏教教会へ「禅とある庭園の創造」という話をすることに同意した時、逆説的に対処することに、つまり無目的の庭の究極的目的について、講演する破目になってしまったようです。

勿論のこと、逆説は全仏教の中心にあって、公案という形で、臨済宗僧侶の修行の最も大事な特徴であります。今日では誰でもが隻手の声についてのあの有名な公案のことは承知していますし、今やもう皆さんはあまりにもよくご存知のように、講話をするということを別にしても、私の主たる悪癖の一つは詩を書くということですから、最近この逆説というテーマに関して詩を書くということがありました。

森の中に
水のない
池があって

魚が跳ね
蜻蛉が舞う

灼熱の
砂漠があり

蠍と
蜥蜴が
波を急ぐ

静止した河を
過ぎって流れる
橋があり

隻手の
声に
反響する
スタジアムが
ある

不思議なものは
何もない
逆説の世界には

私達の
生きている
この世界には


あなた方が三輪精舎に変えてしまった、ロンドンはアクトンにある非常に英国的で擬似チューダー形式の郊外の家が、一人前の禅ガーデンを備えているというのは、本当に日常生活で出会う類の逆説です。

少しの石と僅かな苔と若干のグレーの砂利からなる小さな庭でさえも、全てのものに浸透していく空の絶えざる流れと存在するもの全ての相依性という仏教の概念を常に思い出させてくれます。

イギリスに典型的な薄暗い日の夕日の中で見る庭は、四阿の写真を取った時の夏の日差しで見る庭とは非常に違います。それは単に夏の太陽や冬の雪が庭の違う側面を見せるということではありません。

一々の写真は勿論、庭そのものも含めて幻覚の世界の中の特別な種の幻覚であります。私たちが見ているのは、犬とか赤外線や紫外線を感覚する動物や昆虫が見ている庭ではありません。

物事を観察する人がこちらは見てそちらは見逃すが如くに、観覧席上の写真家は、適切なシャッター・スピードとフィルターを使うことによって、他の観察者は石や砂利に気を取られて殆ど気付かないような陰影を強調しまざまざと表現することができます。

それはともあれ、ご同意いただけると思いますが、もともとのあまり綺麗でなかったイングリッシュ・ガーデンは、かなり違った風に見えていました。

何が起こったのかというと、佐藤教授と私が以前の庭を見ている時に、彼が私にこの庭をどうしたらいいと思うかと訊きましたので、私はいつもの如く考えもしないで、恐らくはこの庭を禅ガーデンにするのがいいだろうと応えました。

まだ正行寺を知る前のことですが、私がはじめて日本を訪問しだした頃の大きな体験の一つは、京都の龍安寺やその他の偉大な禅ガーデンで遂には長時間を過ごしてしまうという好機に恵まれたことでした。そして、ともあれ、私には、仏教とメディテーション(瞑想)は手を携えて行くもののように思われました。

それから暫くして正行寺に参りました時のこと、竹原智明さまが皆さまを代表して「いいでしょう。どうぞ私たちのためにデザインをして下さい」というような意味のことを言われた時には、何か精神的衝撃のようなもの(ショック)を受けました。

皆さまがロンドンに海外支部を設立されたというばかりでなく、その時完全に異なった修行と信仰をもつ仏教宗派に起源を持つ庭園を造るという考えを進んで受け入れられたということは、浄土教の、特に正行寺の皆様方の寛容さと開放性を象徴する最たるものであります。

あなたがたの勇気は申すまでもなく、その寛容性は、仏教徒でもなければ日本語を喋れるわけでもない、以前にいかなる種の庭園も造ったこともないイギリス人に対して、あなた方のために庭のデザインをするように依頼するというところで、最高度に発揮されたに違いありません。

禅ガーデンの造園に固有な微妙な特徴は大変なもので、はい(イエス)と申し上げたその瞬間に、賭けの公算は圧倒的に失敗に傾いていたということ、バガヴァド・ギータ仏教経典の言葉でいえば、取りうる唯一の行動は、結果への無執着、行為のために行為するということだけ、ただそれだけでそれ以上でもそれ以下でもないということは、明らかなことでありました。

行為ために行為するしていても、そこには常に逆説があります。常に人の働きの根本的構造というような類のものがあって、個人的な偶発的行動の外側に出発点というか最優先の目的というようなものがあるのです。

禅ガーデンの抽象的な最小限主義芸術は、実に、眼の快感を超出したはたらきを備えています。そのはたらきは、出発点を、瞑想への出発点-もしお好みならばスプリングボードといってもいいのですが-だけを提供するものです。瞑想と申しますのは、心の一切の外的混乱の浄化であり、外的世界から来る感覚入力の錯乱と制御不能な内なる思想の波乱の全てを沈静化するものであります。

全てが正しく行われれば、最初の効果は、限られた空間の中に、山や森、灰色の海から立ち上がる島々、雲の上の山頂等々、広大な距離にわたる平安を感得するということかもしれません。真宗の人にとっては、そこに浄土そのものの象徴を見るということになるかもしれません。

仏教思想の変わらぬ目的は、主管と客観、我と非我の二元性を打破して、全てを抱擁する分離不能な一如に直感的に到達するということであります。経典の言葉で言えば、色即是空、空即是色であります。

禅ガーデンを創造するという企画において、一つの不可欠な要素は、存在しないものは存在するものと同様に重要だという理解であります。空間の制御が至上であります。石は単に空間の間の空間であるといってもいいでしょう。

若干の皆さんは『笛の息』にあるタイラの翻訳で既にご存知かもしれないある歌を引用させて頂きますが、それは全ての真実の禅ガーデンに言えることです。

この庭は

存在と
非存在から

石と
石ならざるものから出来ている

ここに
入って
落在すれば

存在と非存在は
等しい


用地設計を始めるに当たりましては、勿論のこと、ルート2の均衡システムと黄金分割のそれを含む計画原案がありまして、家の各部屋からどのように見えるかを見るために庭園の予備模型が作られました。

それ以上に際立っているのは、これもジョン・リードが製作した模型で、ジョン・リードは、オーク材製のL字型四阿を見学者と庭の間に支柱がないように設計するように依頼されました。

ジョン・リードが四阿の仕事に取り掛かっているのを見るにつけても、木製の目釘を使って一本の金釘も使わない原寸大の木組みの複雑さが解ってまいりました。彼はその問題を解決したのでした。

小さな寸法の庭模型を与えられて、もともと私は精々九個か十個の石を考えていました。しかし、智明さまが、おそらくは十二音階の音楽かあるいは他の純粋に仏教的用語の共鳴を念頭に十二個がいいですねと言われた時、それはこの設計に別なレヴェルの抽象的意味を添える好機となりました。

十二個の石の五、三、二、一、一、もしくは一、一、二、三、五というグループ分けは、個々の数字は先行する二つの数字の和になっていまして、それは、植物の茎に付いている葉の配置から、巻貝の内部の部屋取りに至るまで、多くの自然な形の成長に見られる均衡様式と関連性のある数学的級数(フィボナッチ級数-訳者注)の一部であります。

しかしながら、禅に関することはなんでも正しくそうであるように、最後に決定的発言をするのは直観的な眼です。最初に発見した時は、ある位置に合うように選ばれた石が、全く違う場所に置かれることになったり、あるいは完全に放棄されねばならなくなったりしました。

どうにか生き残った計画全体の中で、一つ一つの石が、チェーン・ブロックの三脚で動かされ、砂と土と苔が入れられた時に、正確に意図したものが見えるようにするために、一センチづつ地中に埋められていく中で、事がらは予期しない形で発展変化していきました。

次々に石が据えられて行くうちに、次第に庭園そのものが主導権を取るようになり、デザイン全体の中で、石から石へ、グループからグループへと、厳密に正しい流れを確保するために、ほんの一度づつの角度の限りない方向調節を要求するようになりました。

UCLの地質学者、エリック・ロビンソン博士が、カンブリアと親密な関係を持っていましたので、私たちが適正な石の探索を開始したのは、湖水地方のコニストンの上のほうにある荒野においてでした。博士の友人のフィリップ・ジョンストンの歓迎と組織力なしでは、私たちが発見した石の幾つかは、到底搬出不可能だったでしょう。

私たちは全部で八、九回カンブリアを訪れて、荒野やガレ場や廃坑久しい銅鉱山の屑山を登ったり這い上がったりしながら見た数万個の石の中から、必要な一握りの石を見つけました。

しかしながら、しかるべき許可を得て集めた八個の石のうち最初の石が私の目を引いたのは、私が独りでフィリップ・ジョンストンとの予備会談に出かけた時通った砂利道のそばでした。結局、この石は、この庭園では、地質学的にはかなり異なる三石からなる中心グループの左側に据えられることになりました。

三分の一が地中に埋まっている二トン半の主石は、その右側の石と一緒に、その後ウェストドレイトンの石屋さんで見つけました。右側にカンブリアから来た低く横たわっている石が寄り添い、半分が埋まり高くて殆ど垂直な石も、この石屋さんから来ました。

皆さんは私が「殆ど垂直」と申し上げたことにお気付きでしょう。この尋常ならざる視点から見れるように、全ては本当に錯覚です。まだ建設されていなかった観覧席から見てちょうど正しく見えるように、あのように据えられたのです。

石屋さんから来た最後で四番目の石は、ぎざぎざのグレーとピンクの石で、地質学的にはまた別なタイプのものであります。これは地中深くには埋められていません。

他方、直ぐその前にあるもう一つの独立の石は、四分の一弱しか見えていません。この石を見つけた時には、足場用の鉄棒を井桁に組んだものに吊るして、川床から急勾配の坂を運び上げるのに、大変な苦闘を強いられました。最初は八人で東洋風に一本の棒で持ち上げようとしたのですが、鉄棒はスパゲッティのように曲がってしまいました。

石を探す場合、何を探しているかを知っていなければならないし、しかし逆説的に絶対に自由な心を保たねばなりません。石全体と石の機能する部分は、同様に重要です。両方が目を捉えるのでなければなりません。見られるところと見られないところは一つであり、全ての石は一つ一つ、最終的にどこが見えていてどこが見えていないかについて明瞭な考えを持って、選ばれねばなりませんでした。

一つ一つの石は、一個の独立した三次元的全体として、尊敬選択されねばなりません。一々の石は、観察者に見せる側面と同様に、見えない側でもよくなければなりません。このことは、いかなる訪問者も見たことのない角度で撮ったこの同じ石から容易に見て取ることが出来るでしょう。再三再四、一つの特に美しい前面もしくは二つの素晴らしい面を持っている石が、結局は単なる外観だけで、中身の無い貝として捨てなければならなくなるということがありました

一々の石は、それ自身のために選ばれましたし、またそれ自身のためではなく、庭園の全体的意匠に適合すべく、隣接する石と調和して活きていけるように、選ばれました。異質の調和は、実に、正行寺そのものの指導原理であり、三輪精舎の根本的な目的であります。

開けた場所にひとり横たわっているのではなく、隣接する石の間にうまくカモフラージュして隠れている石を見つけ出すのがどんなに難しいことであったかは、最後の五石グループのこの石は、這い登っていった私たちの三十フィート余り下の方に、堆積する廃石の真ん中にあるのを見つけ出したものであるということからも見て取れることであります。

目印の紐で分るように、このグループの最初の石は、このグループの主石が表面に坐っているのに、その大部分が埋められています。それにもかかわらず、一つ一つの石が、どのように据えられているにしても、地面の上に坐っているように見えるのではなくて、地面から自然に生えてきているように見え、どんな山もそうであるように景色の一部のように見えるべきであります。主石も仲間の石の間に紛れてあった類ですが、この石の場合は、湖のはるか上のほうにあって、間に合わせの運搬台に載せて、巻き付け綱の助けを借りて少しずつ下ろした後、ゴムボートに乗せて夕方の湖上を運んだのでした。

振り返ってみて解ることですが、はじめのグループの最初の二石は、竜安寺の全く違う石組みが私の心のどこかに隠れていて、この二つを無意識的に選び取って据えることになったことは確かで、あの素晴らしい全く異なった庭園の別なもっと遠い影響があるかもしれません。

しかしながら、作務衣を着たタイラが持っている二つの熊手は、ジョン・リードが作ったものですが、唯一直接的意識的に竜安寺をまねたものです。

二週間に一回5時間以上かけてタイラがするレヴェリング(水平化)とレイキング(熊手を使う線引き)は、広い海の大波が進路上の島に出会う時に起こる文様を再現するよう意図しているだけではありません。石の注意深い設定と一緒になって、長い平行線は小さな空間を心の眼には洪大に見えるようにするのを助けます。その長い視野が妨げなしに遠い隅に入っていくようにしてあるのは、更にその効果を拡大します。

禅ガーデンが創造することになっているその調和は、受身的な事柄ではありません。それは、異なった音階から成る能動的な和合であって、三輪精舎の庭は、そこから最後には調和が形成される異質性の面を最大化することによって、日本の偉大な禅ガーデンの隠された原理であると思われるものを、ただ単に具現するばかりでなく、もし出来たら発展させるべくデザインされています。

日本にある厳密な意味での禅寺庭園の殆どにおいて、石の地質学的な分布は、割合限られています。同じ事が、色や肌理についてもいえます。幾つかは全く石のないのさえあります。竜安寺におけるように、時折肌理の違いが注目される所では、その対照は、ぼやけた色合いや、間に入ってくるかなりな距離によって抑制されています。

三輪精舎では、そのような対照がすべてきちんと並列されています。幾つかの石は、見学者に近く配置されています。幾つかは遠く離れていて決して近付けませんし、十二個の石は凡そ十種類位の異なった地質学的類型を含んでいます。ぎざぎざした垂直な形が、柔らかな横たわった水平な石の横に立っていますし、粗さと滑らかさ、鋭さと丸さの間には、最大限の変化があります。

その上、人間と自然は、自然に風化した石と採掘した石の組み合わせによって、直接的に接触しています。滅多にそれに気付く人はいませんが、採石の一つは今なお削岩機で出来た溝をもっています。

最後に、黒と茶と灰色、白とピンクの限りない陰影が、石と石の間で、時には一つの石の中でも、常に交錯し合っており、そしてそれは、灰色の斑点のある御影石の砂利とも、灰色と茶のカンブリア産スレートと鉛のキャップを持つ土塀の明るい蜂蜜色とも反映しあっています。

面白かったのは、カンブリアから来たスレート職人達が茶色のスレートは間違った色だとして全部捨てたがったのに、私たちにはその茶色のスレートは全体の調和に特別な貢献をするものとして見えたということです。

色彩の相互作用は、側溝の御影石の石組みと大理石の小石、そして薄黒い葦葺き屋根と荒うち漆喰壁を持った観覧席の灰色のオークの板や梁桁においても続いています。

庭園の十二個の石は、本当に、お互いやその環境と休みなく調和的に出会っていく過程にあるものとして考えられるかもしれません。おそらく当時はそのことをこんな風には考えていなかったかもしれませんが、異質の調和の如き出会いは、真宗的生活の中心的テーマであり、実際にそうなったように、この庭園の創造の根底でもありましたから、その可能な象徴的意味には別な側面があります。

樹木や潅木を持つ元の庭は、ブルドーザや発削機で整地し水平化することが出来たかもしれませんし、コンクリートの基礎を持つ車庫を破壊し、無数の木の根を掘り出すのも、精々四、五日で終えられたかもしれませんが、実際には運転手以外の誰も参加者はいないということになっていたでしょう。

そうではなくて、お天気がよくても悪くても、激しい肉体労働の長い厳寒の冬、全ては手仕事で行われました。

三輪精舎のメンバーと彼らの英国人助っ人と、そこには実にインド人助っ人も入っていましたが、そういう人たちと一緒に精出して働くために、日本からは老若の僧侶たちや青壮年男女、一七歳から七十歳まで、あらゆる社会階層の人々が、絶え間ない流れで来てくださり、そこには果てしない出会いの過程がありました。

特に感動的だったのは、私自身の小河正行との出会いでした。彼は、京都で最高の庭園専門家の一人であるにも拘らず、全く並外れた寛容の精神をもって、喜んで来てくれたばかりでなく、時には巨大な石を吊り上げて据えることにもなった三脚(チェーンブロック)の作り方や動かし方のような専門的過程を指導してくれました。

劣らず素晴らしかったのは、臼杵に自分自身の寺の庭を作ったことのあるタイラの兄上の宝蓮寺さんが、この人の活花は私がかつて見たことのある最も美しいものの一つに入っていますが、三人の専門家の助っ人と共に手伝いに来てくれたことでした。

それは実に、片方の無知と決断が、反対側の専門的知識と謙虚さと忍耐に、ものの見事に合致した一例です。

最後になりましたが、初めは言語的文化的背景の抜きがたい障碍とも見えたかもしれないものがあったにも拘らず、三輪精舎で働いた全ての人々と、この庭園の建設を実現するために大変寛大にご寄付下さり、ご自身は英国に来れなかったけれども、一連の写真やヴィデオレコードによって、昼夜四十六時中の電話やe-mailは言わずもがな、経験談の全てを見聞された正行寺の皆さま方とが、一つになったことでした。

その建立中、異質なるものから調和を創造するように設計されたこの石庭は、より深い人間的レヴェルで正しくその異質の調和を実現すべく働きました。

もしあなた方が今私にその庭を喜んでいるかとか誇りに思っているかとか聞かれるならば、その質問は返答を得られない質問となるでしょう。

初めから、結果への無執着、行為のための行為が、そんなことがそもそも可能な限りは、唯一の働き方であると思われました。そして、無執着というのは、簡単に脱着できる衣服ではないのです。

全ての歴史、全ての過去の記憶は、構成物であり、幻想であります。過去のものに執着するということは-もっと悪いことに自分自身の行動やその見かけの結果に執着するということは-自己ということさえもが幻想であるように見える世界に生きる道ではありません。

でも、ある意味で、庭はあり、私がいて、あなた方もおられます。ただそれだけです。

この庭の目的に関しては、庭に意味を与えるのは、庭に齎されもの、庭から汲み上げられるものであります。もしあなた方かどなたかが庭に特別な目的を見出されるのであれば、それがその目的です。反対にそこになんらの目的も見られないのであれば、目的は無いのです。

確かに、禅において、仏教全体において、そして特別な経典において、言葉というものは、今夜皆さんのお耳に流れ込んだ全ての言葉の如く、殆ど意味がありません。禅ガーデンについてもそういえます。

しかしながら、もし言葉がなければならないのであれば、日本語と英語による言語的紹介の試みが、何人かの方々はご存知かもしれませんが、観覧席の壁に掛かっています。

その冒頭の数行はこうなっています。

この庭では
誰が 何故 何時 それを作ったのかと
聞かないで下さい

庭があり
そしてあなたがいます

ただありのまま

Talks at Shogyoji

by John White

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