第九回ロンドン会座講話

第九回ロンドン会座への案内状で、タイラは、ゴータマ・ブッダのものとされる、四聖諦の説を引用しました。

第一聖諦は、人生は苦であるということです。

私たちが、ありのままの世界を見るとき、地震・台風・飢饉などばかりでなく、奇形や苦痛を伴う誕生、そして多くの人びとにとっては一生涯の苦悩に引き続く緩やかな死など、このような諸々の自然の災禍を見るとき、また私たちが自ら背負いこむ果てしない戦争や惨事、それに私たちの存在をもたらした基本的な自然淘汰の過程の残忍性を思うとき、確かにそれは一つの真理です。

それは、ブッダが見た世界の状況から、またその後私たちに伝えられている古代の聖典を書いた人々が見た世界の状況から、産み出された真理です。

しかし私には、もう一つの真理、つまり私たちの住んでいる世界は美と喜びと安らぎの場であるという真理があるように思えます。

そのような美と驚嘆の感覚を、そしてその安らかさを、できるだけ多くの人びとに齎すべく努めることは、特に、幸せな人生を送っている私たちにとっては、義務であり、喜びであります。

私にとって、正行寺が今その直接的な領域を超えて、このお寺の安らかさと喜びの感覚を広めようとしていることは、正行寺の精神的生命力の徴であると同時にあなた方の多くが共有している信仰の徴でもあります。

それはまた、大変多くの若い僧侶と信者が、その共通の仕事を手伝っている、あの活力の徴でもあります。

ご存知のように、ただ今、お寺に隣接して、お年寄りの方々が生活できるように、本当に「生きて」いけるように、そして遂には、彼らの仲間ばかりでなく、まだ若くて元気な人びとから、勇気と支援を受けながら、死を迎えられるように、そういうことのできる場所が出来つつあります。

双方の出会いによって、双方に活力と理解が育っていくことでしょう。

あなた方十九人が日本を旅立って今晩ここで私たちと集うのは、本当にその仕事を前向きに遂行するためであります。

私は以前象徴ということの重要性についてお話ししたことがありますが、佛教哲学の古参教授であるタイラ・サトウとその妻のヒロコが、非常に若い僧侶である竹原慶明師と共に、お寺の生きた延長たる三輪精舎を建立するために、ロンドンに滞在しているということは、正行寺の象徴であります。

これもご存知のように、正行寺のメンバーであるあなた方は、智明さまのご指導のもと、出来ることならここ三輪精舎に石庭を造ろうと、その着手を決定されました。

もしあなた方が出来上がりを楽しみにしておられるようなものが本当に実現すれば、それもまた、静かな寂静と平安の場となり、すべての佛教徒が何らかの形で求めている浄土の可視的象徴となるでしょう。

老いも若きもそこを訪れ、ある人びとはただ見るだけで歩き去り、あるいは、それを一瞥するだけでお喋りやバーベキューの場とか身近な社交的集会へと戻っていくかもしれません。おそらく、ある人びとはそこに坐って瞑想し、またある人びとは、すべての執念を超えて、ただ「ありのままにある」というところまで行くかも知れません。

まだ、庭はありません。出来ないかもしれません。

しかし、今この一瞬、私たちはここにあり、そして、若かろうが年取っていようが、健康であろうが具合が悪かろうが、私たちにとって確かなのは、唯一つのこと(死)だけであります。いつものように長話になりましたので、あなた方の何人かは既にご存知かもしれない一つの俳句を紹介して終わることにしたいと思います。

この俳句は、二十年以上も前に私が書いたもので、私に何が起ころうとも、何とかそういう心で暮らして生きたいと思っている句です。

生まれて已来
死につつあれば
何故にその一事を恐れんや
遂げ得ると知りながら

Talks at Shogyoji

by John White

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